その年は自分で挿げて販売した下駄は5足、その他、日田下駄が50足、中国製の下駄800足を販売しました。

次の年は日本製の下駄をもっと販売することにした。最初に探した徳島県の生産者だけでなくもっと沢山の種類の下駄が世の中にあることを知って、それを探すことにした。私は欲張りで、一度下駄を取り扱うなら、お客様にすごいと言わせたくて、全ての種類の下駄を扱うことを目標にネットで調べ、また電話で沢山のネット販売店に交渉をして行きましたが、殆どは断られました。

桐は比重が少なく、とても軽く出来ていて、古来から下駄には桐が最高だと言われ下駄の100%近くが桐でした、それに塗りをしたり、彫りを入れたり、形を変えたり、別の素材を貼ったりして、履物として親しまれて、明治時代までは日本人の履物は下駄と草履と草鞋(わらじ)が殆どだったようです。

やっと見つけた生産者が3軒です、一つは鎌倉塗りと鎌倉彫りとゴマ竹張りの生産者、一つは角館の桜皮張りと津軽塗の生産者、一つは畳表と塗り下駄の生産者、そしてそれぞれが形を工夫して名前をつけて生産していた。

下駄の挿げ方に自信を深めた私は、2年後の年は200足の下駄台を買ったが、鼻緒が問題となった。日田下駄の生産者にお願いしていた鼻緒の仕入先を無理を言って教えていただき、カタログを取り寄せ、ポリエステルと綿の鼻緒を300足分買った。その年は160足の下駄をお客様の要望通りに挿げた。よく頑張ったが、お陰で腕と指に腱鞘炎を患い病院のお世話になった。

次の年は私だけの鼻緒が欲しくなり、鼻緒の生産者に相談して、着物の残布を鼻緒にすることにしたが残布程度では鼻緒にむく柄がなく、着物をつぶして鼻緒にすることにした、幸い当店は新品の着物の他にリサイクル着物も扱っていたので、その中から10数点選び注文を出したが、柄別に鼻緒の数量を指定して注文したつもりでしたが、この世界では、生地があれば全て鼻緒にするようで、同じ柄の鼻緒が20点から30点出来上がってきてびっくりした。しかし絹の鼻緒が300足分揃えて私の下駄への挑戦が完成した。

今は毎年200足程度の下駄を挿げています。挑戦を始めて8年がたちました。そのお客様の中には下駄屋さんが嫌がってしない挿げ方を頼まれ、3度やり直しをさせられたがなんとか要望通りの挿げが出来て、その後3年間で12足の下駄を購入いただき、草履の挿げ直しも頼まれるようになったのです。また若い女性のお客様が今でも下駄を挿げる人がいたのですねと感激されスマートフォンで録画されて帰られました。様々の物語を作り下駄に挑戦して良かったと思いました。

次は草履に挑戦することにしましたが、草履は下駄の延長線上にあると思っていたことが全く違うと言うことを思い知らされます。